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アルバート・マイケルソン

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海軍兵学校の物理・科学の専任講師が出発点

アルバート・マイケルソン(1852〜1931)はドイツ生まれのアメリカの物理学者。のちにモーリーとともに、光波に対する古典的な「マイケルソン=モーリーの実験」をおこなったマイケルソンは、2歳のときにアメリカに移住し、ネヴァダに定住しました。10代のとき、海軍兵学校に入学したマイケルソンは、科学には抜群の成績を修めましたが、船舶操縦術は平均以下でした。そこで、1873年に卒業すると兵学校の物理と科学の専任講師になりました。

光速度の測定研究を始め、1882年には最精密の値を発表

1878年、マイケルソンは光速度の正確な測定の研究を始め、フーコーの回転鏡の方法を改良した装置を用いて測定結果を発表しました。けれども、それに満足できなかったマイケルソンはさらに精密な測定をするためには光学を学ぶ必要があると悟り、ドイツとフランスに留学します。帰国後には兵学校をやめてクリーブランドの応用科学ケーススクールの物理学教授になりました。1882年から光速度の再測定を始め、毎秒299,853kmという、その後30年間でのもっとも精密な値を発表しました(30年後に発表された、より正確な値はマイケルソン自身が出したものです)。

モーリーと続けたエーテル実在実証実験は大失敗に終わる

1881年、マイケルソンは光を2つの方向に分けて別々の径路を進ませたあと、再び戻して干渉させる実験をおこなうための干渉計の製作にとりかかります。この干渉計を使って互いに直角方向に進む光の性質を調べようとしたのです。当時は、地球上のすべての空間には光を伝えるエーテルが充満していると考えられていました。そこで、マイケルソンはエーテルの存在を確かめるために、「エーテルの中を地球が公転しているのなら、地球上の光は向きによってその速度が変わるだろう。地球の進行方向と同じ向きに進む光は、地球の速度の分だけ遅くなるはずだ。それなら、それぞれ違う向きに発した光の速度の違いを検出できれば、エーテルの実在も確かめられるだろう」と考え、1887年までモーリーとともに実験を重ねたにもかかわらず結果的に失敗してしまいます。

失敗から生まれた「光速度不変」は相対性理論の大前提に

ところが、実験の失敗はエーテルの存在を否定したばかりでなく、運動する物体からどんな方向に発射された光の速度も一定であるという光の特殊性、「光速度不変」を発見したという意味で、アインシュタインの相対性理論の大前提となりました。そのために、非常に意義ある“失敗実験”として科学史上もっとも有名なものになっています。このほか、マイケルソンはモーリーとともに1892〜93年、カドミウムの赤いスペクトルを使い、パリにある標準メートルの長さを、単色光の波長によって再定義したり、1920年には天体の直径を測定する装置をつくってオリオン座ベテルギウスの大きさの測定をしています。1907年、マイケルソンは、アメリカ人としてはじめて科学部門でのノーベル賞受賞者となり、光学に関する一般研究に対してノーベル物理学賞を贈られました。