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天動説から地動説へ

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15世紀に入って大航海時代が始まると、星の見え方から船の位置を知るという実用上の理由から、天文学がいっそうさかんに研究されるようになりました。観測技術が進歩するにつれて、惑星の位置予測がずれるなどクラウディオス・プトレマイオスの天動説では説明できない事柄も明らかになりはじめ、天動説に疑問をいだく学者も出てきました。

地動説への「コペルニクス的転回」

地球が宇宙の中心にあり天球が回転しているとするプトレマイオスの天動説では、惑星の微妙な動きを説明するために、惑星はその公転軌道上にある別の円(周転円)の上を運動するという複雑な概念が導入されていました。そのつじつま合わせ的な説明に疑いをもったのがニコラウス・コペルニクスです。ニコラウス・コペルニクスは、宇宙は数学的にもっと合理的な運動をしているのではないか、と考え、太陽を宇宙の中心におき、そのまわりを地球をはじめとした惑星が回転しているという宇宙の姿を考えました。これが地動説です。この説を述べた著書は、当時の宗教への配慮から書名を『天球の回転について』とされ、出版されたのも彼の死の直前でした。人間の住む地球が中心ではないという学説は、地球が宇宙の中心であるという聖書の記述こそを真実としていた当時では、あまりにも先進的で過激な考え方だったのです。

はげしくせめぎ合う「天動説」と「地動説」

天体の運動を明快に説明するニコラウス・コペルニクスの地動説は、しだいにその後の天文学者に影響を与えていきます。デンマークのティコ・ブラーエは詳細な天体の位置観測を行ったことで有名な天文学者です。ブラーエは優れた視力の持ち主で、太陽や月、惑星の動きの詳細な観測記録を残しています。ブラーエの死後、助手であったドイツのヨハネス・ケプラーがブラーエの残した多くの観測データを受けつぎ、地動説の基礎となる惑星の運動に関する「ケプラーの法則」を発見するのです。

地動説を裏づけた、17世紀のガリレオの発見

一方、イタリアでは、ガリレオ・ガリレイが、はじめて望遠鏡による天体観測を行い、1610年、木星のまわりを動く4つの衛星を発見します。この発見を皮切りに、ガリレオは金星の満ち欠けと大きさが変化して見えることなど天動説では説明できない現象を次々と発見していきました。これにより、ガリレオは地動説を強く信じるようになるのですが、1300年にわたって支持されてきたプトレマイオスの宇宙に対するキリスト教や人々の信奉は根強く、地動説が広く受けられるにはいま少し時間が必要でした。